天台宗とは【ルネッサンス・天台宗】

ルネッサンス・天台宗

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天台宗とは

天台宗の起源と歴史

日本に仏教が伝来し、飛鳥・奈良時代になると、次第に仏教が浸透するようになり、それぞれの経典や論書にもとづき、宗派を形成していくようになります。奈良時代の仏教は、経典や論書の研究が中心であり、三論宗、法相宗、華厳宗、律宗、倶舎宗、成実宗、と呼ばれる宗派に代表されます。また鑑真が来日して天台宗関連の典籍が伝えられました。

最澄は天台大師智が説かれた法華経の神髄を極めたいと願い、805年に朝廷の援助を受けて留学生として唐に渡り、中国天台山で法華経を学び、道邃(どうずい)和上から大乗菩薩戒をうけられ、帰国前には順暁阿闍梨から密教の伝法を受けられ、顕密一致の日本天台宗の基礎をつくりました。帰国した最澄は都の僧達に伝えたのが日本における天台宗の始まりです。

最澄は「仏に成れるもの、仏に成れないものを区別する教え」と別れ、「すべての衆生は成仏できる」という法華一乗の立場を説き、既存の奈良仏教と論争が起こします。また小乗戒を授ける戒壇院を独占する奈良仏教に対して大乗戒壇を設立し、法華一乗による人材の養成を目指して「山家学生式」を表し、朝廷にに大乗戒壇設立と人材養成の請願をされました。 こうした努力が実り、806年1月26日天台宗の僧侶2名を朝廷が正式に認められました。(天台宗立教開宗の日) その後「山家学生式」に続いて「顕戒論」を著わし、その中で真俗一貫の大乗菩薩戒こそが真に国を護り人々を幸せにする「戒」であるとの思いから、比叡山に大乗戒壇の公認を請願しましたが、その願いは生存中には叶わず、822年6月4日56歳でその生涯を閉じました。 それから7日後、朝廷より大乗菩薩戒を授ける得度授戒の勅許が下り、名実ともに天台宗が独立した宗派としての地位を確立しました。

最澄亡き後、弟子の義真が伝法師として後を継ぎ、一乗止観院は「延暦寺」の寺額を勅賜され、比叡山延暦寺と呼ばれるようになりました。

平安時代末期から鎌倉時代にかけて、延暦寺は数多くの名僧を輩出。天台宗空也派の祖「空也上人」浄土宗の開祖「法然上人」浄土真宗の開祖「親鸞聖人」曹洞宗の開祖「道元禅師」臨済宗の開祖「栄西禅師」日蓮宗の開祖「日蓮上人」等が若かりしころ、比叡山で修行したことから「日本仏教の母山」とも称されている。

戦国時代には、盛栄を誇った比叡山延暦寺も織田信長によって焼かれ、一時その勢いは衰えましたが、江戸時代、徳川家康の懐刀と云われた天海大僧正の出現によってその勢力を盛り返し、上野の寛永寺は西の比叡山に対して東叡山と呼ばれてその影響力を日本全土に及ぼしたのです。

天台宗大本山 比叡山 延暦寺

滋賀県大津市坂本本町にあり、標高848mの比叡山の周囲約100キロに及び散在する諸堂塔を併せて延暦寺と言い、 ちなみに延暦寺と言う建物はありません。延暦寺の名より比叡山、また叡山と呼ばれることが多い。京都の北にあったので北嶺とも称された。住職は天台座主(てんだいざす)と呼ばれ、末寺を統括する。1994年12月に世界遺産に登録。

延暦寺根本中堂 延暦寺阿弥陀堂
延暦寺 根本中堂
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延暦寺 阿弥陀堂
(えんりゃくじ あみだどう)